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戦国時代一やさしい男、三好長慶

信長、秀吉、家康といい、どうしても好きになれないのが虐殺です。
この点、長慶は生涯にわたって一度も残虐的な虐殺を行っておらず、
現代の価値観と同じ価値観を持っていたと思われます。
長慶の生涯はとてもドラマチックです。
10歳のときに、叔父にあたる政長によって実父の元長が切腹させられてしまいます。
それから17年後、江口の戦いにおいて、親の仇ともいえる政長を討ち果たすチャンスが到来します。
政長は、細川晴元や六角氏の援軍を待つべくして、江口城に篭城することになります。
このとき、援軍が来る前に城を落とさなければならなかったのですが、
長慶は、城攻めの命令をだせずにいました。
仇でもあり、戦略的、戦術的にも早急に攻め滅ぼさなければならないにもかかわらず、
肉親である叔父を殺してしまうことに躊躇してしまうやさしいやつなのです。
結局は、実弟の十河一存等によって江口城は落城し、
江口城から逃げ出した政長は、淀川で溺れ死んだとか、首をはねられたとか言われています。

おそらく、長慶が秘密裏にかくまって、どこかに逃がしたんでしょうね。。多分だけど。。。
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戦国時代はこの男から始まった 三好長慶

今年の大河、「真田丸」、面白いですね。昨年は、、、、(笑)。
あまりにもおもしろいので脚本誰かなと思えば、三谷幸喜でした。
さて、前置きはこのくらいで。
戦国時代は応仁の乱が終わったころに始まったものと言われていますが、
狭義的には、三好長慶によって戦国時代のクライマックス(最終舞台)が始まったと言えます。
三好長慶の登場前にも、北条早雲や斉藤道三等による下克上(主君打ち)はありましたが、
これらの下克上と三好長慶の下克上では、その意味するところの次元が違いすぎます。
三好長慶が行った下克上は、主君である細川晴元に対して行われました。
細川晴元は、足利幕府における最大勢力であり、時の足利将軍よりも権力を握っていたといわれます。
そして、三好長慶は、細川晴元と足利幕府(六角氏も参戦)を相手に戦をし、見事に打ち破るのです。
この戦において、細川晴元が今川義元に援軍を頼んだことが原因で、
かの桶狭間の戦いが行われたとも言われています。
この戦なければ、義元が桶狭間で討ち死にすることもなく、信長の登場も大いに遅れていたかもしれません。

戦国時代を語る上では、信長、秀吉、家康の3人は欠かせませんが、
三好長慶、この人なしで戦国時代を語る人は、はっきりいってもぐりです。

本能寺の変の黒幕は?

 本能寺の変の黒幕について、結論を出したいと思います。
先ず、大大大前提としまして、実行犯は明智光秀であること、そして、明智単独犯説は採用しないということです。
 では、早速犯人探しを行います。

☆ 動機について
①明智光秀
 以前にも述べましたが、四国征伐回避説が近年注目されています。
まあ、光秀の動機はそれほど重要ではないので、スルーします。
②徳川家康
 真っ黒ですね。信長により長男信康が切腹しています。
また、武田家に対する防波堤として機能してきた徳川家が、武田家滅亡により、存亡の危機にあったことはあきらかです。
ってか、信長は本能寺にて、光秀に家康を討たせようとしていたとも考えられます。
 つまり、光秀から謀反の誘いを受けたとしたら、断る理由はなかったように思います。
③羽柴秀吉
 これといって直接的な動機は見当たりません。あえて言うなら、秀吉の野望でしょうか。しかし、光秀と秀吉は本当に仲が悪かったのでしょうか。
④公家、顕如、堺の商人etc
 黒幕というには、あまりにも役不足なので、これまたスルーします。

☆ 本能寺の変の後の不自然な行動について
 本能寺の変の後に一番不自然な行動をした者が最も怪しいといえます。ちなみに、本能寺の変が起こったのは、6/2の早朝です。
①徳川家康
 家康は6/2に本能寺にて、信長に面会する予定でした。にもかかわらず、6/2の早朝には未だ堺にいました。堺から京都市までは直線距離で60kmほどです。仮に早朝が朝7時とします。また、信長との会合が夜7時とします。そう考えると、12時間にて60kmも移動しなければならないのです。あまりにもスケジュールがタイトすぎませんか。普通に考えると、6/2の早朝には伏見あたりにいたいものです。少なくとも、家康は、6/2の午前中に、京都市内にいたくはなかったということではないでしょうか。また、その後の行動も不自然極まりません。
先ず、家康は危険な伊賀越えを行います。まあ私に言わせると、何が危険なのかさっぱりわかりませんが危険だったということです。堺には四国征伐のために1万4千の信長軍がいました。もし、光秀が家康の命を狙っていたのであれば、堺にもどればよかったのです。即ち、家康は危険な伊賀越えよりも危険なのが、堺の信長軍であったと考えたということです。その後も不自然な行動は続きます。極めつけは、春日の局ではないでしょうか。春日の局は、光秀の片腕の斉藤利三の娘です。そして、三代将軍家光は、春日の局の実子といわれています。家光とは家康の家と光秀の光から命名された考えられています。ちなみに二男は、秀長。父親の秀忠と信長の一字をとったものと考えられます。もう、家康は動機といいその後の行動といい、真っ黒です。推定有罪です。

坂本竜馬がフリーメーソン。だからどうした!

坂本竜馬がフリーメーソンであったという都市伝説がありますが、どうもかなり信憑性が高いようですね。
っていうかフリーメーソンであり、さらにイギリスのエイジェントであったとも思われます。

でも、だからどうしたと世の竜馬ファンに強く言いたいです。

僕たちがこれほどにまで竜馬に傾向しているのは竜馬の生き様にあるのです。例え、薩長同盟がグラバーの指図であったとしても、またはイギリス政府の意向によるものであったとしてもです。

竜馬の偉大なところは、理想のために孤高の道を歩んだということです。見事なほどに群れなかった。依存しなかった。海援隊という組織を作りはしたものの、土佐勤皇党のような性質を有するものではなかった。

理想のために、長州、薩摩にも依存せず、最後はグラバー(またはハリス)からも独立し、日本のため理想のために孤高の道を歩んだのです。

それを歴史的に証明しているのが、竜馬暗殺なのです。

東電の陰謀

最近の東電の汚染水問題についてのニュースは明らかに、東電の陰謀と思われます。

まあ、9.11のアメリカの陰謀に比べたらかわいいものですが。。

目的はオリンピックの招致という大義名分の下、国に対応させるということです。これにより国費が投入されるのことになりますので、少々、漁師さんへの賠償金が高くなったとしてもお釣りがくるということです。

この筋書きを描いた人がいるとしたら天才ですね。

マスコミも国民も、見事にだまされました。

汚染水を閉じ込めることなんて簡単に思えます。タンクから水漏れ。どうしようw
演技にしか思えません。

汚染水問題は入口です。最終目的は廃炉費用の国費投入でしょう。
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